2021.02.01

海外事業から見る山善――   100周年を見据えた戦略とは?

  • facebookでシェア
  • Twitterでシェア
  • LINEでシェア
  • Linkedinでシェア

山善は世界15の国と地域に4海外支社17海外現地法人を有し、その傘下に67カ所の拠点を展開する業界最大の生産財専門商社です。海外事業に携わるスタッフは自らをTotal Solution Provider(トータル・ソリューション・プロバイダー)と称し、その業態は商品販売だけではなく自動化やターンキーからアフターサービスまで対応できる高い技術力を有し、長年にわたってお客様をサポートしています。そんな海外事業の統括責任者である岸田貢司は、国内営業の後1994年に米国現地法人へ赴任、以来、ほぼ21年にわたり北米地域で日系、米系、欧州系はじめモノづくりに携わる多くのお客様とともに、グローバル化の変遷とパラレルに、海外生産財ビジネスを展開してきました。海外事業のこれまでの歴史や、現在抱える課題、今後について聞きました。(※写真:USA現法経営幹部とYamazen Inc.創立50周年記念式典にて)

山善の海外事業が大きく展開する、その幕開けに立ち会う

まずは、山善における海外事業の歴史について教えてください。

当社がアメリカに進出を果たしたのは、1960年代のことです。生産財事業に関わる専門商社の中では、断トツに早く海外へ進出したのではないでしょうか。

最初に取り扱っていたのは、工具関係が中心と聞いています。切削工具のエンドミルやスプレーガンなどですが、日本製は品質が良く、為替も1ドル=360円で固定相場でしたから価格競争力もあってよく売れた時代でした。逆にアメリカでは米ドル換算ですから、販売管理費がむちゃくちゃ高いわけです。ですので、進出当初は一般民家の地下室を安く間借りしてUSA現法としていたらしいです。まさに当社のモットーである「切拓く」精神ですよね。

シンガポール、バンコク、台湾へもほぼ同時期に出ていますが、日本人、ナショナルスタッフともにその当時の苦労は大変なものだったと聞いています。変動相場制へ移行した70年代の通貨危機、1ドル=200円を切るきっかけとなった1985年のプラザ合意など、不安定な為替レートに翻弄されるビジネスに嫌気がさした日本企業は、徐々に海外生産へと舵を切りました。貿易摩擦から派生したローカルコンテント規制などもあって現地生産スタイルに変わったわけですね。当社は、その変化に対応すべく海外専任社員との垣根を取り去って国内営業経験者を一気に投入しました。現場の最前線で培った営業ノウハウを持った山善社員が、今度は「ユーザー密着型営業」を掲げ、積極的に海外へ出て行ったわけです。

そして今では、現地で生産されたモノは日本に輸入されるだけではなく、地産地消と言われるように現地でも販売される時代になりました。大手日系企業の協力工場が現地ローカル企業へと裾野が拡がったり、欧米系企業が日系や現地ローカル企業との協業を進めたりと、その潮流は見事なまでに多様化し、ビジネスチャンスは面白いほど転がっています。固定概念を捨てて時代の変化を見てみれば、海外事業の発展性は無限大に拡がっていると思いますよ。

ただ、こうしたグローバル化は追い風となる一方で、とても厳しい現実を突きつけています。それは、競合他社(あえてライバルと言いますが)の多様化です。当社が幾多の難局を乗り切り、海外市場で力をつけていったのと同様にライバル企業も大いに増えました。彼らとグローバル市場で戦い、本気で勝ちにいくには緻密な戦略を練り、機を見て俊敏に動ける組織やルール、体制づくりが必要です。

 

会議中の風景

今や日本製を主力商材として取り扱えるのは、日本の企業だけではありません。潤沢な資金力を背景に母国語を自由に操り、地場の人脈をフルに活かせる現地ローカル商社の存在は脅威と言えますね。日本の優秀なメーカーも彼らとの直接取引に何ら躊躇していません。

その昔は、船積みから通関手続きなど煩雑な貿易実務を引き受け、果ては海外での在庫管理・販売までを当社が一手に手掛けられるという強みがありましたが、今やそれは当たり前(時には不要)のことなのです。グローバル化が進み、ライバル企業が世界中のディーラー、メーカーにまで広がった今、「日本の商社だからメリットがあるでしょ?」は、著しく時代遅れの感覚ですね。うかうかしておれない厳しい時代です。

競合他社にはない、山善 海外事業の強みとは

海外事業が楽観視できない状況にある中でも、競合企業と比べたとき、山善としてはどんな部分に強みがあると考えますか?

冒頭に述べられていますが、Total Solution Provider(トータル・ソリューション・プロバイダー)であるということでしょうね。モノを提供するに留まらず、問題を解決する能力を持ち、各拠点のスタッフがきめ細かく対応できるという点で、圧倒的にお客様に近いことです。日本人と現地ナショナルスタッフが一緒になって、現場に足を運び、お客様の問題をきちんとすくい取れる体制を整えている、これは一番の強みだと思います。

ビジネスの観点からもっと言えば、海外事業をより拡大したいというお客様に対して、当社は「攻めの提案」ができます。これは有効ですね。第2工場、第3工場の建設計画をお持ちのお客様にとってみれば、建物や設備まで含めると、これは社運を賭けた相当な投資なわけです。工作機械だけ売って「あとは知りません。」とはいきません。お客様の立場に立って、モノ(工作機械や機工商品、周辺機器など)とアイデア(自動化・省力化・工程改善や他社のノウハウ)を含めたトータル提案を行う。NDA(秘密保持契約)は当然順守しますが、海外で50年以上の歴史を持つ当社だからこそ、ここまでやれるのだと思います。

例えば、「山善さん、今度こういうものを加工したいんだけど…。」とご相談があれば、プロトタイプの部品や仮図面を見せてもらって、一度うちでデザインしてみる。各地に展示場を持っていますから、実機で加工してみて、精度やサイクルタイムを計って現物を体感していただきながらご提案ができるわけです。

 

海外事業の強みを話す岸田貢司

海外事業では、これまでに何度か危機があったとのことですが、どのように乗り越えてきたのでしょうか?

危機について話し出すと止まらないくらい本当にいろいろありましたよ(笑)。私はアメリカにいましたから、例えば、2001年にニューヨークで同時多発テロが起き、世界経済が一気に悪化しました。ITバブル崩壊という要因も重なったのですが、一番の問題は、不安に怯えて皆が「混乱」していたことでしょうね。USA現法も売上や利益が半分(と言えばかっこいいのですが、実際は赤字)になってしまい厳しい状況でした…。

そんな危機を乗り越えられたのは、ひとえに日米両スタッフの力でしょうね。「一丸体制」を「ONE YAMAZEN」と英訳して、まさに全員が一丸となって健全経営へ向けて行動しました。

海外で現地社員とともに働いてみれば、何よりもスタッフのモチベーションをいかに維持するかが大事だと気付かされます。ナショナルスタッフは、会社が赤字になったとき、そのモチベーションが、日本人以上に下がるものなんです。日本人の社長が彼らに「ウチはね、しばらく赤字が続くけど大丈夫、君たちを悪いようにはせんから…。」は、最悪な説明ですね(笑)。「こんな経営者に任せて大丈夫?」と思われますよ。海外現法の日本人経営者は外国人なんです。だから一番苦しいときこそ、堂々と会社の指針をシンプルに示さないといけない。なぜ当社は赤字に陥ったのか?経営陣はその事実にどう向き合い、どういう戦略でリカバリーしようとしているのか?を明確に示すことが最も重要です。

当時は、私も若いマネージャーのひとりとして、アメリカ人スタッフとは積極的にコミュニケーションを取りました。苦しい時期だったので激論もしょっちゅうです。収拾がつかないと「おい!続きは居酒屋でやるぞ!」と、まさに飲みニケーションで徹底的に腹を割って話し込みました。彼らと日本へ出張するときは、必ず大阪本社へ立ち寄り、山善の社長直々に「君たち、期待しているよ!」と声をかけてもらったりもしました。山善グループは想像以上に大きな組織であり、全く揺るぎもしない。グループ全体がアメリカの復活を期待していると認識してもらったのです。

余談ですが、2003年当時、不況で社員数が激減して、各オフィスにぽつんと数人が座っているだけの空間になったことがありました。これじゃああまりに寂しいし、倒産会社みたいだから、不要な事務机を取り払って、空いたスペースに会議室をつくろうと…。業者に依頼するとかなりお金がかかるので、みんなで一緒になってオフィスをつくり直したことがありました。電話線や通信ケーブル配線がむちゃくちゃ複雑で、あれはもう二度とやりたくないですね(笑)。また、経営は苦しいけどクリスマスパーティーぐらいはやろうと、会社内で開催したこともありました。余興のカラオケ大会で、私が英訳演歌を披露したけど全くウケない。アメリカ人は演歌を誰も知らないんですね…(笑)。とにかく皆が前を向けるよう、できるかぎりのことをやったつもりです。そうやって明るく取り組み続けた結果、ついに黒字に転換したときは、本当にホッとしましたし、心底嬉しかったですね。

岸田さんの不屈の精神、ポジティブに物事を捉え、発想の転換をして、みんなを前へ前へと引っ張ってきたことが良く伝わってきます。

ダブルウィング+海外事業を展開しているからこその強さ

しかしですね、そんな厳しい壁をやっと乗り越えたり、壊したりしたと思ったら、次はリーマン・ショック、米中経済戦争、そして昨年から続く新型コロナウイルスと壁はどんどんできてきますね。

新型コロナウイルスの影響で、全社的に生産財事業が厳しい状況にあります。とはいえ、逆に家で過ごす時間が増えたことで巣ごもり需要が生まれ、家庭機器と住建の消費財事業はグッと売上を上げています。モノづくりを支える「生産財」と快適な暮らしを提供する「消費財」を取り扱う“ダブルウィング”の専門商社であるからこそ、苦しみながらも、経営の安定に繋げていると思います。勇気を持ってこのダブルウィング経営に挑まれた諸先輩方のおかげ、そして今の社員の頑張りですよね。

さらに、当社は海外15カ国に事業所を持つグローバル企業であることを忘れてはいけません。アメリカの売上が悪い時期は中国や台湾で数字が伸びることもありますし、中国が厳しいときは逆にアメリカが盛り返す。長い目でみるとASEAN(東南アジア)地域は常に経営が安定しています。世界各国に多くの拠点を維持していることで足腰がしっかりしており、バランスも良く、多少のことではブレません。それもこれも文化の違う海外に乗り込み奮闘された先人のおかげだと思っています。

100年企業を見据えて、これから取り組みたいこと

今後の海外事業の展望は?

会社の中で海外事業の売上比率をさらに増やしたいと思っています。今は連結売上高の13%程度ですが、低過ぎます。真のグローバル企業と言われるには50%以上でなければいけませんよね。一気に50%は無理でも、先ずは25%を見上げようと分社長には言っています。そのために固定観念を捨て、貪欲に海外市場の変化に対応すべきです。既存の北米、中国、台湾、ASEAN諸国に留まらず、新市場を開拓する意欲が大事ですよ。モノづくりを考えると、今は人口増加が著しいインドに注目していますが、最終的には中東からアフリカ市場まで広げたい。

現在、インドでつくられている小型エンジンは、主に耕運機など農業機械に搭載されドバイ経由で食料の増産が必要なアフリカへ出荷されています。純粋な「MADE IN JAPAN」は、ハイコストなので使われることは難しい。当社が、日本の技術を活かしてインドでつくり、アフリカ向けの機器に搭載するマーケットを開拓するなんて構図もありえるんじゃないかと思っています。「MADE IN INDIA by Japanese Technology」みたいな。

インド現法営業幹部と
インド現法営業幹部と

26年後に100周年を迎える山善。そのときまでに叶えたい理想像はありますか?

一番理想的な形は、当社で働くスタッフ全員に、国籍という垣根意識が無くなることです。現地で働くナショナルスタッフと日本人とは生活環境も文化も全く違いますが、互いに多様性を尊重しながら垣根を無くしたいと考えています。

60年代から海外市場が急激に変化していったように、これからは「日本人的経営発想が原点であるべき」という考え方は通用しなくなるでしょうね。当社が100年企業を目指すには、日本と海外を包括した、まさにグローバルな戦略が極めて重要です。その実現には膨大な時間と労力が必要と言われてきましたが、昨今の情報技術イノベーションと新型コロナウイルス感染症拡大を契機とした意識改革で到来が案外早いかもしれません。先輩社員がそうしたように、今度は私達がこの大きな変革に耐えうる山善の礎-IIをつくり、次世代に繋げたいと思っています。

 

PROFILE
岸田 貢司

■1983年入社~
 機械事業部 国内営業(長野など)
■1994年11月
 米国現地法人
 Yamazen Inc. 赴任(イリノイ州シカゴ)
■2011年4月
 USA現法長/Yamazen Inc.社長
■2015年10月
 日本帰任 国際事業本部 機械2部長
■2016年4月
 執行役員
 機械事業部 副事業部長 兼 海外機械部長
 兼 YAMAZEN(KOREA)LIMITED現法長
■2018年4月
 取締役 上級執行役員 生産財統轄部長
■2020年4月~
 取締役 上級執行役員
 営業本部 副本部長(海外担当)
 兼 機械事業部 海外機械部長

  • facebookでシェア
  • Twitterでシェア
  • LINEでシェア
  • Linkedinでシェア